ユータロの日記

考えたこと、日々のこと、彼とのこと。

山口周さんが言葉にしてくれたモヤモヤ

細々と書いているブログですが、今年もお付き合いのほど、よろしくお願い致します。本年1発目の記事は本を読んで考えたこと、です。書評とはちょっと違うのですが、社会人になってから今まで自分の中でモヤモヤしていたこと、一見後ろ向きだと思われる思考が、きちんと理論立てて説明された本と出会って、これだ!という嬉しさと共に読み進めました。

 

 

まず、自分がずっと抱えていたモヤモヤとは「成長することが前提とされている制度やシステム」です。人も会社も国も成長することが前提として考えられています。ここで言う成長とは計測可能な数値が増えることです。国はGDP、会社は売上や利益、個人では年収でしょうか。その最先端を行くのがアメリカ合衆国だと思うのですが、成長を続けている一方、皆さんご存知の通り、格差や分断が進んでいます。

つまり成長するにはトレードオフがあるということです。それは人生への幸福度だったり、環境への負荷だったり、まだ可視化されていない問題だったり。多くの人が便利な製品やサービスにアクセスできる世の中になり、物欲や金銭的報酬がすなわち幸福につながる時代は曲がり角に来ていると感じています。

それでも成長すること=計測可能な数値の向上でよいのでしょうか。山口さんは著書の中で、下記のように提言しておられます。

「未来のためにいまを犠牲にする」という手段主義的=インストルメンタルな思考・行動様式から、「永遠に循環する”いま”を豊かに瑞々しく生きる」という自己充足的=コンサマトリーな思考・行動様式への転換が必要

上記のような考えを基に国家運営するには、現行の制度やシステムを大幅に見直さなければいけませんが、成長の見込みがなくなっているのに、いつまでも成長することを前提として物事を設計していては、そのトレードオフとなる害悪を後世に先延ばしするだけです。なので、成長=皆が心豊かに生きられる社会になることという認識に変えた方が良いと思いました。

 自分の身に翻って考えてみても、同じことです。全く共感できない考え方であるにも関わらず、成長=会社員になり、職位を上げ、年収を上げるというシステムの中で、もがき苦しんできました。でもよくよく考えてみると、年収が上がっても、その差額は預金口座の中に貯まっていくだけであり、それによって自分の幸福度は全く改善されていないことに気が付きました。むしろ、報酬に見合った仕事を要求、期待されることが自分の中では大きなプレッシャーになり、逆に幸福度は下がっているように感じています。

加えて、もともと欲しいものやお金のかかる趣味もないし、扶養する家族もいない(この先も見込めない)ので、「健康で文化的な最低限度の生活」を送るコストは一般的な人と比べてもそれほど高くはありません。理解あるパートナーがいる現在では、より自分の取り得る選択肢が増えたような気がします。

占星術では土の時代が終わり、風の時代になる、と言われているように、自分自身も時代、実情に即した生き方を模索する1年にしようと思います。