ユータロの日記

考えたこと、日々のこと、彼とのこと。

みんな違ってみんな良いとは言うけれど

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「みんな違ってみんな良い」

 

多様性、多様性と言われる世の中になった。

それによって今までは知られていなかった、

ときには無視されたり反故にされていた、

様々なマイノリティが顕在化している。

社会が多様性を受け入れようとしているのは素直に嬉しい。

 

しかし自分と違う人に対し寛容になることはそう簡単ではなく。

つまり、社会の問題と個人の問題とはまた違うんだよね。

それぞれの人生だからそれぞれだよなー。とは言っても、

自分の身近な人がそうだと話は違ってくる。

そこで本当の自分の気持ちが表に出てくる。

本当にそれを認められるのか?理解できるのか?

 

多様性に関してふと思ったことなんだけど、

多様性を認めるということは、それぞれの生き方を

認めて理解して肯定するってことじゃないと思う。

そんな神様みたいな人はいないと思う。

多様性を認めるということは、色々な人が存在する

という前提を持つということと同義であると思う。

 

色々な人がいるんだから法やシステムの整備は必要だよね。

数が少ないという理由で差別されたり区別されたりはナシね。

ただ個人的には認められないという人たちがいるのは仕方ない。

色々な法整備が進んでいる国でもそういう人たちはいる。

前提が変わってくれば社会全体の雰囲気も変わってくると思う。

少数者が生きやすい社会は多数者も生きやすくなるのだから。