ユータロの日記

鹿児島に住んでいる、とある男の日常をつらつらと。

ゲイだから不幸ってわけじゃない

今更だけど、「嫌われる勇気」を読んだ。

(哲学者と悩める青年のやりとりを通して

 アドラー心理学が丁寧に説明されている)

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 ※アルフレッド・アドラー - Wikipedia

 

これを読んで自分がゲイとして悩んできたことを思い返した。

 ゲイは結婚できないし、子ども作れないから親にも世間にも

 本当のことを言えずに生きていかなければならず辛い。

 みんなが謳歌している甘酸っぱい青春も

 当たり前のように語る未来予想図も

 僕には入る余地がなく、黙って眺めているしかない。

 なぜゲイに生まれてしまったのだろう、なぜ僕だけ…。

おおよそこんな悩みに苦しめられた時代があった。

それはフロイトの心理学でいうところの「原因論」であり、

今の自分はさまざまな原因からこうなっている、と。

しかしながらアドラー心理学の「目的論」の観点からだと

自分は不幸なんだ、みんなと違うから苦しいんだと思いたいがために

性質のひとつであるゲイというセクシャリティにフォーカスしていた、

となる。

確かに僕は小さい頃からみんなとは違うんだと思いたいフシがあり

それが歪んだ形で成長しゲイという性質をうまく取り込んだのだ。

 

結論から言うと今は自分がゲイであることで悩むことは激減したし、

幸せだなと思える瞬間が増えているような気がする。

それはなぜかと考えたんだけど、それは

好きな人が出来て幸せだと実感する機会が増えたから。

そういう経験を何度かしてきたから。

幸せになるのにも好きな人と生きていくのにも

なんだセクシャリティは関係ないんじゃんて思えたから。

よく目にする形ではないってだけなんだよね。

 

「優越性の追求」(つまり向上心)は誰にでもあって

よりよくなるには、より幸せになるには具体的にどうすればいいか

思い当たることをひとつずつ素直に実行するだけ。

誰かの期待や評価というフィルターに惑わされることなく、

自分がいてもいいんだと思えるような場所を大切にしたい。

そのためには勇気が必要な場面だってあるのかもしれない。