ユータロの日記

考えたこと、日々のこと、彼とのこと。

月曜朝の起きぬけが憂鬱の最高到達点

何か知ったかぶって説明し始めると、あれれ?こういうときどうなるんだろう?と新たな疑問が生まれたりする。人に説明できて初めて、自分が理解の到達点に立つことができるとはこういうことか。自分の無知を自覚してばかりだ。

日曜の夜は月曜から始まる日々への憂鬱に飲み込まれそうになる。これが毎週続いている。以前は不定休だったので、このような憂鬱とは無縁だった。世間がお休みの土日祝に休めないという憂鬱はあったけれど。

その憂鬱の正体は見通しが立たないことからくるのではないかと思う。実際あれこれと随時お願いされるので予定がなかなか立たない。やるべきことが決まっていてひたすらそれを遂行するならば、ここまでの憂鬱にはならないはずだ。

つまりは見通しの立たない状況下で自分の無知と向き合い続けることがストレスになっているんだと思う。これはもう、経験を積んでゆくしか対処の仕様がない。そうやって諦めて仕事をすれば、少しは楽になってゆくんだろうか。