ユータロの日記

考えたこと、日々のこと、彼とのこと。

今一度、過去を整理してみた

今、自分のライフワークたり得るものは何か?

という問いがずーっとあります。

まずは過去の自分の経緯を整理していき、

何か思考の突破口を見つけられならいいな。

 

ここからは走り書きのメモのようなものなので、

もし、興味があれば読んでください。

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小学6年生の頃、英語にハマった。当時の自分には全く分からない世界が英語にはあった。その基本的なルールから何から日本語とは違った。得体の知れないものがだんだんと分かるようになることが嬉しかった。文法や単語の知識を補完すれば、次第にほとんどの文書は読めるようになった。高校生になると今度は言語そのものより、外国に興味を持つようになった。あらゆる面で先進的に映る西欧諸国に興味を持った。世界のことをあれこれ勉強し、それが日本の未来に少しでも役立てばいいな、と生意気にも思うようになった。そして、外国語大学への進学を決めたのだった。

しかし大学生活というものは楽しいもので、高校生の頃に抱いていた大志はそのうちどこかへ忘れ去られていった。例に漏れず、就職活動の論理に飲み込まれて迷い子になり、「好きなことを仕事にするべきだ」というどこかで聞いた正義を掲げ進学することにした。昔から好きだったイラストの専門学校(正確にはデザイナー専門学校)だった。学校生活はまたも楽しいものだったし、初めての彼氏との生活に浮かれている間に再び就職活動の論理に飲み込まれ、とある会社の経営理念に共感して入社が決まった。何をしているのだか。

そこは善意的なブラック企業だった。みんな明るくて一生懸命だけど、働く以外のあらゆることは無視された。結局そこは一年で辞めてしまった。そこからは「好きなことを仕事にする」病から抜け出せず、もう一社勤めたが、やはり続かなかった。その辺から自信をなくした。アルバイト生活をしながらフラフラしたり、公務員試験の勉強をしたりしていたが、何の身にもならず、とりあえず最低限興味があり働けそうなところに勤めることにした。その時にはもう20代も終わろうとしていた。

事務員という求人だったが、正確には経理の仕事だった。やってみると、けっこう適性はあるなと感じた。細かくて地味な作業だけれど、それなりに飽きずにやれたと思う。アートとの関わりのある職場だったのも良かったのかもしれない。自分では最長の3年半働くことができたし、基本的な経理の経験は獲得できた。更なるキャリアアップを目指し、上京した。といえば、聞こえはいいが恋人の転勤に着いてきただけである。

そこからまたブラック業界で名高い税理士法人へ就職したが、一年と持たず、今は赤字経営離職率が半端なく高い中国系外資企業の経理職としてのんびり働いている。仕事は特に楽しくもなく、やりがいもない。同僚が好きというわけでもない。来るとこまで来てしまった。これ以上、転職をする気も起こらない。サラリーマン人生の端の端まで来てしまった。さて、どうするか。

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ここまで考えてとりあえずわかったことは、

条件で選んでいるうちは良い結果になりにくいということ。

今の職場も、残業の有無、休み、給与の条件をクリアしたから入った。

特に何かをしたかったわけではない。

経理職としてのスキルアップを謳ってはいたが)

自分が選んだ条件に文句はないが、

それ以外に特別良かったこともない。

まずは①どんなことをするために②何を選択するか

の二つの問いへの答えを明らかにしなければならない。