先日、大学時代からの女性の友人とランチをした。
彼女は男性と結婚をし、子供が二人いる、
と言うと、日本での「普通」の人生を手に入れたように思える。
しかし、パートナーとの関係、育児、子どもの悩みなど
話を聞けば聞くほど大変そうだった。
僕は昔から「普通」が死ぬほど欲しかった。
就職して、結婚して、子どもを育てて、夫婦仲良く老後を‥
といった人生を歩むことばかりに執着して、
そうできない自分を責めて嘆いてばかりいた。
30代になって、「普通」でないことを受け入れてからは、
「普通」という偏見と、距離を置いて付き合えるようになった。
彼女と話していて感じたのは、所謂「普通」の人であればこそ、
「普通」という偏見に振り回されることは多い。
・普通、◯◯歳くらいになったら結婚するべき
・普通、結婚したら結婚式はするべき
・普通、結婚して◯◯年したら子どもを作るべき
・普通、そろそろ2人目の子どもを作るべき
・普通、子どもができたら◯◯するべき などなど
何を選択するにしても、だいたい「普通」の選択肢はあるので、
その選択肢を選べない場合、周りから責められたり、
デリカシーのない助言を受けたり、
今までの生活を変えざるを得なくなったりする。
そうすると「普通」という偏見に悩まされることになる。
「普通」から大きくズレなければ、
悩まされることはあまりないのかもしれないけど。。
この「普通」という言葉を、思考停止して連発していると
知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまっているかもしれない。
これだけ多様な人がいると分かってきた社会で、
そろそろ「普通」という雑な言葉でモノを考えるのは
やめにしていきたいですね。
もし「普通」でないと悩んでいる人がいたら、
その人に寄り添って考えたいと思いました。