弱音を吐いたところで、今のボクには
それを受け止めてくれる人もいないわけで。
結局毎日を生きていくしかないんだよね。
午前で試験が終わり、コーヒー買って公園で黄昏たあと、
家に帰ってきてある人のブログをずっと読んでいる。
誰にとっても毎日は繰り返しなわけで、
彼氏がいようと家族がいようと、
モーレツ会社員であろうと、主婦であろうと、
おそらくスポットライトが当たっている世界であっても、
(隣に誰かがいてくれるのはとても羨ましいけど)
毎日が同じように平等に過ぎていくんだろうな。
その人にかかるいろいろな修飾語をとっていくと、
結局はその人自身しか残らないんだよなー。
ボクはあらゆる自分の修飾語に振り回されてて、
逆に逃げ場にしてしまう癖がある。
ゲイであっても愉しく充実した人生を送っている人は
この世界にたくさんいるんだろうに。
こないだ福岡で会った大学時代の後輩いわく、
「楽しみなんて自分で作るもんですよ」
らしい。
いつも年下に励まされているボクです。