ユータロの日記

考えたこと、日々のこと、彼とのこと。

欲を排除することの代償について

昔から欲しいものが少ない子供だったと思う。大人になっても、あまり欲しいものは増えていない。いい家に住んで、いい家具を揃えて、いい服を着て、時計やアクセサリー、小物にもこだわりたい、といったファッション雑誌に映っている男性のような生活を手に入れたいという欲求がない。

他にも社会的に成功したい、都会でバリバリ働きたい、イケてる自分になりたい、などなど様々な欲求があると思うけど、そういうものも自分の中には見当たらない。とにかく、無難で平穏な日々だけを欲っして生きてきたんだと思う。

今より若い頃には少なからず、欲求もあったんだろうと思う。しかし、幸か不幸か手に入ってこなかったから、もしかしたら、欲しくないふりをして、自分の欲求に蓋をすることに慣れてしまったのかもしれない。自分がうまく立ち回れないから、自分の人生を低く見積もって、無難で平穏な日々を過ごすようになってしまったのかもしれない。

そうやって、知らないうちに何もいらない自分になってしまうと、働く意欲や、活動するモチベーションにも深く影響してきた。「欲しい」や「〇〇したい」という燃料がないと、エンジンも働かなくなり、そのうち動きも鈍くなる。

だから、もっと自分の中に芽生えた「欲しい」や「〇〇したい」という気持ちを掬い取って、一つずつ実現していこうと思う。老後のためにせっせと貯金している場合ではないのでは?最近の言葉では、自己投資というんだろうけど、今の自分のために、お金や思考や時間を振り分けて行きたいな。そんなことを思う春なのです。